明治以降、太平洋戦争の勃発までにフィリピンに渡航した日本人は53,115人にものぼるようです。この数は、同時期に世界各国に渡航した人の6.8%、東南アジアの中だけでは69.7%にあたります。
1896年に施行された移民保護法では、労働を目的として海外に渡航する者と定義されていました。フィリピン行きは、地理的な近さから(南米などに比べると)出稼ぎ傾向がより強く、大半の人がそうであったようです。
フィリピン在住日本人職業別人口調査は、1896年にマニラの日本領事館が再開されてから、ほぼ毎年定期的に行われていました。それを見ると、主な職業は「娼婦(からゆきさん)」「道路工夫」「農夫」「大工」「木挽き」「漁民」「商人」であった事がわかります。
これらの職業から、日本人渡航者の大半は、この頃から起きた植民地での奴隷制度廃止に伴う労働者不足のために大量に増えたアジア系の移民と同じ性格であったものと考えられます。19世紀後半の世界情勢の中で、アジア各地は欧米諸国の従属下に置かれ、その結果国を離れざるえなくなった人をたくさん発生させました・・・この時期、日本もその例外ではなく(植民地化がされませんでしたが、経済状態は他のアジアの国と同じで、故郷での生活基盤を失ってしまった人々や、その時代のうねりの中で一攫千金を狙った者が、新天地を求めて北海道に移住したり(実は私の先祖の中にも、この時期、一
攫千金狙いで北海道に渡った人がいます・・・残念ながら、夢破れてしまったようですが)あるいは海外に渡ったりしたのです。
その行き先のひとつが、フィリピンであったという事なんですね。
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